Jan
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人間社会が平和に安定して続くためには、社会契約に中にある作り物――「リヴァイアサン」――を織り込む必要がある。このリヴァイアサンというのは国家だ――絶対君主制でも民主的な議会制でも構わない。大切な点は、国家は暴力と絶対的権威を独占的に与えられるということだ。それと引き替えに国家は、その絶対的な権力を行使して平和な状態を保証する(正常な行為から逸脱した者を罰するとかして)。国は自分の絶対的な権力が、市民たちが自発的にそれを放棄してくれることに完全に依存しているということを知っているから、国家の側としてもその権力を濫用しないインセンティブがある。もちろん、濫用しない保証はない。でも濫用すれば、国家としてはそれがどんな結果をもたらすか覚悟しなきゃいけないわけだ。
ホッブスの説の面白いところは、道徳だとか、自由、正義、所有権といった概念には、自然な意味とか、本質的な意味とか、永続的な意味なんかまったくない、という点だ。これらはひたすら社会が作り上げたものでしかない。戦争と社会的無秩序を押しとどめるために、リヴァイアサンが法や制度を通じて作りだし、押しつけるものだ。歴史が示すように、どんな価値観も永遠ではなく、周囲の状況が変われば少しずつ変化するのだ。
とりわけホッブスは、法そのものは完全に力によって支えられている、と強く指摘する。実力ある強い権威を後ろ盾に持たない法なんて、まともな意味での法とは呼べない。だからホッブスは「法実証主義 (Legal positivism)」の創始者の一人とされている。つまり、法が正しいと言うものはなんでも正しい、という立場だ。「不正な法律」なんてのはただの名辞矛盾でしかない。
トマス・ホッブス (Thomas Hobbes)